自分たちでつき、食べる。

よくある餅つきとの違いは、自分たちで準備からはじめて当日も自分たちで餅をつき、調理し、食べることです。大人と一緒に臼をあらったり、お米を水につけたりすることで、もち米からもちになるまでを体験します。

 

2019ver.

もち米をせいろで蒸して、石臼と杵でついていく。

機械で作れば早いけど、全部自分たちで作ったお餅は格別!!

小さい子たちは大人やOBのお兄ちゃんにに手伝ってもらいながら、

味付けは縦割りチームで協力し合いながら♪

あんこを丸めてつきたてお餅でくるんだあんころもち。

子どもたちの考えた、きなこ、醤油のりチーズにチョコバット味!

独創的なおもちを楽しみました。
雨降る中のお餅つきになりましたが、あったかい豚汁も体にしみ入る美味しさでした✨

お餅つきの心 2017ver.

 

今年のお餅つきは、素晴らしいと思いました。

 

5年前に、「自分たちにできるだろうか」と恐る恐る再開したお餅つきですが、今年は参加者が100名を超え、とても賑やかで楽しい餅つきでした。リピーターも増え、全体に手慣れた感じで、小さな未就学児や、中学生、高校生のお兄さんや、先生、お父さんお母さんを交え、和気あいあいとした餅つきでした。

 

お餅つきの順番を待ちながら、子供たちが校庭で、お父さんやお母さんと一緒に遊ぶ姿が、いい感じでした。そんなことを思いながら、一年を振り返ると、今年もいろんなことがあったなあ、と思い出されます。

 

お餅は、春に田植えをして、夏の炎天下に雑草取りをして、秋に稲刈りして脱穀したお米から作ります。お百姓さんたちが大事に育てたお米を、今日ここに、みんなが集まって、研いで、炊いて、ついて、ようやく、お餅が出来る。つきたてのお餅は、サイコーにおいしくって、今年もまた、みんなで楽しくお餅つきをすることができて良

かった。そういう一年間のすべてのことに感謝したい気持ちが、「お餅つきの心」だと思います。

 

僕は今日、お餅つきが始まる前に「お餅つきの心」のお話しをしようと考えていましたが、言うのを忘れてしまいました(笑)。忘れてしまったけれど、餅つきをしたり、校庭で遊んだり、後片づけをいっしょうけんめいにする子供や大人を見て、「お餅つきの心」が、いろんなところにあるのを観ました。

 

来年からは「餅つき衆」を組織して、長く続けていけるような仕組みも作りたいと思い、「協力してくれる人?」と訊いたら、10人くらいの、たくさんの人が手を挙げてくれました。

 

中には、「うちの子は、お米嫌いで困っていたのですが、数年前にこの餅つきに参加してから、お米が食べられるようになって、それ以来毎年参加してます。これからも、ずっときます!」と、教えて下さったお母さんもいました。

 

ほかにも、「僕が二年生のときから、お餅つきが始まったから、今年が5回目なんだよ」と教えてくれた5年連続参加の6年生もいました。

 

近所にお住まいのおじいさんとおばあさんからお借りした、臼と杵を返して、学校に戻る道すがら、何の気なしに、落ちているゴミを一つ二つ拾ったら、それを見ていた4年生の男の子が「あ、僕もこの前ゴミ拾いしたんだよ!」といって、ゴミを拾い始めました。その俊敏なこと。そんなにたくさん拾わなくても・・・(笑)

 

餅つきが終わった後、校庭で全員が手をつなぎ大きな一つ輪を作って、終りの会をしました。率先して感想を発表する子供たちがたくさんいて、微笑ましかった。最後に、けん玉名人の男の子が、「飛行機」や「ブランコ」というハイレベルな技をみんなの前で披露して、見事に成功させ、満面の笑みを浮かべたのも素晴らしかった。

 

電子レンジでチンすれば、3分でお餅が焼けるのに。お餅つきの一週間前の日曜日の朝に、大人数でわいわい言いながら、お借りした臼や杵を載せたリヤカーを引っ張っている集団は、何者なんだろう? 小さな女の子たちが、ニコニコしながら、先頭でリヤカーを引っ張り、お兄ちゃんやお父さんが後ろや左右から押す。雨上がりの朝日が色づいた葉っぱを照らす。朝がこんなに気持ちいいと思ったのは、久しぶりでした。

 

今年も大車輪の働きをしてくれたスタッフはいるのですが、育成会の会長はのんびり写真撮影を決め込んでいたし、いろんなお父さんたちやお母さんたちが、自然に進行を受け持ってくれたお蔭で、僕も殆ど出番がなかった(汗)。育成会なしでも、餅つきができる集団が出来上がっているように思います。

 

そして。

 

なんでも積極的に参加してくれる6年生の男の子たちは、大人になったら、きっと、その時いる場所で、餅つきをする男衆になるでしょう。

 

「イベントの餅つきじゃなくて、自分たちが子供の頃したような、自然なお餅つきをしたい」と5年前に育成会のみんなと話し合い、目標としていたことが、実現しているのを感じて、

実に幸せでした。こういう集団の一員であることを誇りに思います。来年も良い年になりますように!ありがとうございました。

 

楽しいことは自分達でつくるもので、買うもんじゃない   2016ver.


 今年の餅つきも素晴らしかったですねー。全部書くと大河小説になってしまいそうなので、特に言いたいことを一つだけ書きます。

 

それは、育成会のキャッチコピーを募集したことから始まりました。

 

「山岸さんもコピー書いてください」と会長の古林さんが声を掛けてくれた時、(お餅をつく子供たちの面倒を見ていて僕は大いそがしで、その上体調が悪いせいもあって、「うるせーなー」と内心思いそうになったりしてたんだけど、(笑))偶々、近くにいたオヤジの会のお父さんも一緒にキャッチコピーを考えてくれて、ぼそぼそ独り言のように言うのが聞こえた。

 

「ママとパパが仲直りできる育成会、ってちょっとネガティブ入ってるかなー(笑)」。

 

聞いて、吹き出しそうだった。でも、素直でいいコピーだと思ったので、「忘れないうちに書きましょう! 少し穏やかにして、ママとパパが仲良くなる育成会、にしましょうか」と言って、僕が代筆しました。その後、やっぱりはじめの方がいいなーということで、はじめのを今度はご本人が書いた。その時はそれっきり。

 

餅つきの翌日、感想文を書こうとパソコンに向かっていたとき、そのコピーがなぜいいのか考えた。しばらくしてふと気が付くと、なんだか泣き出しそうに感激していた(喘息で、ゼーゼー言ってのぼせていたせいでしょう、きっと)。

 

もしかしたら、餅つきの朝、些細なことで軽い夫婦喧嘩があったに違いない。仲直りする間もなくパパは子供をつれて学校に来た。餅つきを手伝って、あれやこれやしているうちに、喧嘩のことなど忘れていた。しばらくして、家を片付けてママが来た。ちょうどタイミング良く「奥さんもつきますかー?」と声がかかり、「えっ、いいんですかー」と、気晴らしにちょうどいいやとばかりに「うれしー!」と明るい声で返事をして餅を力いっぱいつく。その横でご主人が「そーれ!よいっしょ!」と大きな声で応援する。餅をつき終わった後。今朝なんで喧嘩してたんだろうって感じで夫婦が目を合わせてにっこり笑う。一番喜んだのは、パパとママが仲直りするのを見た子供だったかも知れない。そんなことがあったのかもしれない。

 

育成会は、子供が健やかに育つための活動をするものだと思っているので、僕は(直接的に)子供のために何ができるだろうかとしか、ふだん気が回らない。そーいう凝り固まった考え方をこのコピーは軽く打ち砕いてくれた。

 

考えてみれば、餅つきとか、お祭りってそういうもんでした。「晴れやかな非日常」。みんなでわいわい楽しんで、日常のしがらみとか、煩わしさを吹き飛ばして、大人も子供も素直な心に戻る。ここに来たら夫婦喧嘩なんて吹き飛んでしまう。そういう魔法を見て、子供は餅つきって凄いと思う。

 

アフリカにはこんな言葉があるそうです。「一人の子供をきちんと育てるには、村が必要だ」。

 

そういった「村」が、かつては日本中にあったけれど、今はどんどん少なくなっていて、子供たちが健全に育つのに必要な「環境」が失われているのかもしれない。

 

今年の餅つきは「マイスターを目指せ」を合言葉に、参加者が自分達で餅つきを作り上げるんだ、ということを古林さんや坂本さんが何度も言ったお蔭で、それがずいぶん浸透したように感じました。

 

前日の準備や終わった後の片付けを積極的に手伝ってくれる子どもがたくさんいたし、終わりの会での感想は子どもたちがどんどん手を挙げた。いい雰囲気の時間をともに過ごした何よりのあかしだと思う。

 

オヤジの会の昔遊びも相当良かったみたい。例えば、未就学児の小さな女の子が二度も僕のところに来て、小さな声で「ハンカチおとし」と言う。その子と一緒に校庭でオヤジの会のリーダーを探す。真っ赤なシャツを着たリーダーを探してお願いすると、にっこり笑って子供たちを集めハンカチおとしをしてくれる。校庭に白線で大きく丸が書いてあって、豪快で、遠目にも楽しそうで、それが凄い楽しかったみたい。

 

毎年、技術指導をしてくれた吉田さんや火影(ほかげ、花火衆の長)、餅つき名人のSさんのお父さんは欠席だったけど、初参加のI君のお爺さんが自然に技術指導をしてくれたり、けん玉名人のR君のお父さんは(にらんだ通り)餅つき名人だった。僕は途中で声が出なくなってしまったけど、オヤジの会のお父さんたちが代わりに大声を張り上げて盛り上げてくれ、終わりの会の司会は磯野さんがしてくれた。

 

そういう感じに、周囲を見て必要なことあれば誰かが自然にそれをしてくれるという、チームワークの良さのようなものが出てきて素晴らしいと思う。僕は、ぼーっとしていて気付かないことが多かったかもしれないけれど、至るところでいろんな人が活躍してそれを楽しんでくれたように感じた。

 

楽しいことは自分達でつくるもので、買うもんじゃない。他者と助けあい、一緒に作業し、一緒に問題を解決していくうちに、おとなもこどもも、楽しみや充足感を味わい、心が浄化され、優しい気持ちになり、世の中を肯定的に捉えるようになる。集団の中で自分の役割を発見し、自律的に行動できるようになり、自らを解放し、素直なこころに戻る。そういう中に、ほんとうの学びがある。

 

なんだか、わけの分からない文章になってしまいましたが、今年の餅つきはそういう素晴らしいことが実現されたように思います。それを冒頭のコピーが教えてくれたように感じられ、感動的でした(涙)。このような集団の一員であることを誇らしく思います。ありがとうございました。